アラサー子なし主婦の薄毛の歴史
こんにちは、チロです。
今日は私の薄毛の歴史をつづります。
不眠のことも書きたいのですが、今は薄毛に夢中です。
- 生後
髪の少ない赤ちゃんだったそう👶
でも、赤ちゃんだから「ハゲ」が誉め言葉になる不思議。
ハゲでかわいいと言われていたらしいです(笑)コラ
- 幼少期
自覚症状全くなし。
幼少期の写真を見返すと、別に薄くはないです。
しかもナチュラルストレート!!
- 中学生
癖毛がきつくなってきた。
特に雨の日、髪の表面はくるくるチリチリ。
立派なわがままスパイラルヘアー!!
髪は多くはないけど、ハゲてるとは思わなかった。
- 高校生
周りがみんな黒髪ストレート!!
縮毛矯正が流行って、私ももちろん流行にのっかった。
ナチュラルではなく、毛がピンピーーーンになってしまう技術の時代。
縮毛あてると、2~3㎝くらいのアホ毛がめっちゃ目立つんですよね。
それで、
「えっ!短い毛がいっぱい!!
これ全部抜けたやつが生えたってこと!!?」
っと、一気に不安になったのを覚えてます。
ただ、この頃は髪よりもにきびに悩んでました。
- 大学生
髪の毛を初めて染めた。
茶髪に憧れてたから嬉しくて嬉しくて。
調子に乗って髪はどんどん明るくなり、髪も巻きまくる。
えびちゃんが流行ってた時代です。
可愛い❤
髪を巻きまくっていたのは、少しでも量を多く見せたかったため、ふわっとさせたかったから。
そして人生初の合コンで年上の美容師男に言われたこと。
「チロちゃん、将来やばいよ」
その時は素直に受け止めることもできず、周りの目もあったので、笑い飛ばしてすぐに話題を変えることしかできなかった。
あのくそ野郎・・・
- 社会人
初のデスクワーク。
ふと私がパソコンをしていると、後ろから人影が・・・先輩です。
そして一言。
「つむじが見えているよ。やばいね。」
周りに聞こえたら困るーーー!!!!
とこれまた必死に話題を変えることしかできなかった。
1年目の出来事です。
社会人で自由に使えるお金があって、
皆おしゃれな美容院でイメチェンしてるのに、
私は満足のいく髪型になったことなんてなかった。
それは、圧倒的に量が足りなかったから😱
髪が多くてコンプレックスを抱えている人ももちろんいると思いますが、
髪は多いのは少なくできる。
でも少ないのを多くすることは難しい。
髪が多いほうがましだ。
と思ってました。
(不快な文章に思われたらごめんなさい😫)
仕事が忙しく一人暮らしも初めてで
当時は生きることに必死って感じだった。
キラキラ女子の一員になりたくて、
自分の薄毛を自虐することもできなかった。
今思えば、もっと前から薄毛を笑いに変えるような強さがあれば、
人生変わってたかも・・・ってタラレバですね。
本格的に治療を考えたのは27歳とかかな。
会社にも生活にも少し余裕が出て慣れてきた頃。
でも同じ会社で長年働いていると・・・
周りに治療してるのがばれるのが怖い
ってすごく思いました。
完全にタイミング逃した。
あくまでも、
周りに気づかれないレベルで徐々にフサフサ
が理想✨
つまり
・ウィッグ
→ばれるからNG
・ミノキシジルを使った治療
→初期脱毛が怖くてNG。金額にもびっくり(約100万)。服用をやめるとまた薄くなるというのも当時はNG。
あくまでもチロの選択です。
そんなこんなで、
顔バレしない通販でサプリや育毛剤を買いあさり、
アミノ酸系高級シャンプーを次から次へ試し、
頭皮マッサージをゴリゴリ行い、
納豆を食べまくり豆乳を飲みまくり、
薄毛を必死に隠す髪型に命を懸ける、
こんな生活を何年もしてきました。
「薄毛 20代 治療」って検索の毎日。
だけど効果が出ることはなく、
ストレスは日に日に大きくなり、
なんか、疲れちゃったんですよね😥
仕事でギリギリな生活してたから余裕ってのがなかった。
納豆毎日もきつかった。
環境を全部変えて、心を整えるという意味で本を読むようになりました。
そして、
薄毛を諦めるな!!
もう一度頑張る!
と孤軍奮闘し、今に至るわけであります。
それと、経過が写真で分かる情報があまりに少ないと感じたので、しっかりと写真で記録を残したいと思いました。
ご覧いただきありがとうございます。